私と彼らのあした

駆け抜けてくラッキー追っかけつかまえて

あの日私は担降りしていないのかもしれない

2015年2月24日、私の心境はまさに「絶望」の一言でした。

その日はコンサートDVD『Hey!Say!JUMP LIVE TOUR 2014 smart』の発売日前日、俗に言う「フラゲ日」でした。
初回盤は予約の時点ですでに品薄であるという噂は聞いていたのですが、私は「何だかんだで買えるでしょ」と余裕をかましていたのです。
そもそも、大学卒業間近ということで、何かとお金がかかることが多く、私のお財布事情的に買えるかどうかも微妙で、しかも、現在の私の中でのHey!Say!JUMPの優先順位は低い、ということになっていました。
とはいえ、フラゲ日になると、「この調子だと買えるかも」なんて思い、とりあえずCDショップへと向かってみたのです。
しかし、最初に行ったお店には通常盤すら置いておらず、次に行ったお店には大量の通常盤はあれど、やはり初回盤は置いていませんでした。
去年はコンサートDVDが発売されても、数日間は店頭に初回盤が残っていたのに。
私の知らないうちに、Hey!Say!JUMPは予約をしないと初回盤が買えないアイドルになっていたのです。
自分の認識の甘さを実感した瞬間でした。

私はHey!Say!JUMPがデビューしてから彼らのコンサートDVDは全て初回盤で購入しています。
「買えるかどうか分かんないんだよね」「今、優先順位低いし」なんて言っていたのは、自己暗示のようなもので、やっぱり心の底では何としてでも初回盤を買いたいと思っていたのだと思います。
そして、大人げないことに、初回盤が店頭にないことを目の当たりにした私は、「初回盤がどうしても欲しい」と駄々をこねるように、何度もTwitterで呟いていました。
まるでおもちゃを買ってもらえない子供です。
22歳にもなってこんなことをして、本当にみっともないと思います。
ですが、ありがたいことに、心優しいフォロワーさんが店頭に初回盤を置いているお店を見つけてくださり、なんと青森から私の住む福岡まで郵送していただけることになり、無事に私は初回盤を手に入れることができたのでした。

やっとの思いで手に入れたDVD。
とはいえ、そこに収録されているコンサートには、少なからず納得がいかなかった部分もあったのは事実でした。
そして何よりも、会場での「疎外感」という、それなりに苦い想い出も甦るのです。

私がsmartツアーに行ったのは8月17日のマリンメッセ福岡での2公演でした。
ツアーとしては2ヶ所目、公演回数としては4回目と5回目。
その時、私には「ネタバレは徹底的に回避した状態でコンサートを見たい」というこだわりがあり、ツアーが始まった日から約2週間、全くTwitterを開かず、ひたすらその時を待ったのです。
そして、当日。
会場に向かうと、何人かの友達に会うわけですが、少なからずもうすでに大阪の公演も見ている人がいるわけです。
そのテンションで話をされるとネタバレされる可能性もあるわけで、控えめに「ネタバレNGなんだよね」と告げると、相手は気を遣って一気にトーンダウンするわけです。
そりゃそうですよね、とても申し訳ないことをしたと思います。
でも、まだ2ヶ所目なわけだし、大多数の人はまだそのコンサートを見ていないことが前提だと思っていたのですよ。
しかし、いざコンサートが始まっても、やっぱり「疎外感」を抱く瞬間があったのです。
特に強く感じたのは、アルバム内限定ユニット『ナイトスタイルピーポー』によるパフォーマンスの時でした。
初見の人が多いはずの会場で、すでに振り付けを完璧にマスターして、ペンライトの動きが綺麗に揃っている光景が広がっていました。
一瞬「私が知らないだけで、ジャニーズネットで振り付け動画が配信されていたのかな」なんて思ったけれど、そんなことがあれば、さすがに私も気付いているはずです。
ペンライトの動きが揃っていることに感動することは多々ありますが、ゾッとしたのはそれが初めてでした。
「もしかして、この会場にいるほとんどの人がリピーターなのではないか」「リピーターがいなければ席が埋まらないのか」なんて思い始めると、何だか悲しみに近い感情まで襲ってきます。
もしかしたら、私の思い込みが激しかったせいで、余計にそう見えただけで、実際はそれほどでもなかったかもしれません。
だけど、どうしてもそのことを思い出すと、「私はこの集団から取り残されている」という疎外感を思い出してしまうのでした。
私はずっとHey!Say!JUMPのコンサートがホームだと思っていました。
他のグループのコンサートにも頻繁に行きますが、それでもホームはHey!Say!JUMPのコンサートであると思っていました。
だからこそ、その疎外感が悲しかったのです。
自分のホームであるはずの場所で、自分の居場所を見失った気持ちになったのです。

そんなわけで、その日を境に、Hey!Say!JUMPに対する気持ちはそのままに、逃げるようにして優先順位を低く設定したのです。

私は、いつから伊野尾慧くんを担当と呼ぶようになったのかを覚えていません。
おそらく、2007年に入ってから春にかけての時期だと思いますが、はっきりとしたきっかけは全く思い出せず、いつの間にか「伊野尾担です」と名乗るようになっていました。
私が初めて伊野尾さんの存在をはっきりと認識したのは、期間限定ユニットである『Kitty』のメンバーに選ばれた時でした。
最初は「Kittyなら伊野ちゃんかな」と言っていたのが「ジャニーズJr.では伊野ちゃんが好き」に変わり、そして、いつの間にか「ジャニーズで伊野ちゃんが一番好き」になっていたのでした。
緩やかに伊野尾さんへの「好き」という気持ちが加速し、あっという間にトップを独走していたのです。
それ以来、長らく伊野尾さんは私の好きなアイドルレースで単独首位であり続けたのです。

私の中で『伊野尾慧』というアイドルのイメージは、ほぼこの2007年に形成されています。
この頃、私はよく伊野尾さんのことを「キラキラ爽やか笑顔が素敵な王子様」と表現していたのですが、これは今も根底にあるイメージです。
伊野尾さんがステージに立つ姿はキラキラと輝き、澄み渡る空のように爽やかで、柔らかな笑顔が素敵な王子様なのです。
最近になって伊野尾さんはよく「色気がある」というような表現をされますが、当時の私に言わせてみれば「爽やか100%の伊野ちゃんに色気を求めるなんてあり得ない!」わけです。
まさか彼がそんな方向に舵を切るとは夢にも思わなかったのですが、今となっては自然と受け入れてしまっているので、それなりに時の流れに合わせてイメージも形を変えてきました。
しかし、やっぱり私にとって、伊野尾さんこそ正真正銘の正統派アイドルであり、王子様であり続けるのだと思います。

ところで、ファンでいる期間が徐々に長くなり、さらにインターネットの発達により、人間関係もより複雑化していく中で、私は幾度も伊野尾担であることを辞めたいと思うことがありました。
今、冷静に考えてみると「今は担当っていう言葉は使ってないけど、一応伊野尾さんが一番ってことになってるよ」なんて回りくどいこと言っていた時の自分の気持ちはさっぱり理解できません。
どうして伊野尾担であることを辞めようとしたのか、その時の自分にしか分からないのです。
分かっていることは、伊野尾担を名乗りたがらなかった時も、そして今も、伊野尾担が増えると喜ぶし、伊野尾担を見つけると仲間だと認識するし、伊野尾担が減ると悲しくなるということです。
相手に面識があろうがなかろうが、伊野尾担がいればいるほど嬉しくなりました。
だから、自分も伊野尾担であることを明言したくはないくせに、はっきりと否定することはなかったのです。

そんな私がはっきりと担降りを宣言したのが2014年8月18日。
つまり、マリンメッセ福岡での公演を見に行った次の日です。
私が担降りを決意してから宣言するまでに時間がかかったのは、Hey!Say!JUMPのコンサートがあったからなのです。
宣言をしていないだけで決意はしていたので、ほぼ降りているも同然でしたが、私はコンサートが終わるまでは伊野尾担でいようと決めていました。
もしかしたらコンサートを見ることで担降りを思い留まるかもしれない。
そう思っていたからです。

コンサートはとても楽しかったです。
もちろん冒頭でも言ったように、納得していない部分もあれば、疎外感を抱いた場面もありました。
それでも、楽しかったです。

私は普段からコンサートで泣くことが多いのですが、その理由はステージに立つアイドルがあまりにも眩しいからなのです。
しかし、smartツアーで流した涙にはもっといろんな理由があったように思います。
幸せや喜びと同じように、悲しみや苦しみもその涙には含まれていました。
2部が始まる前、「これで最後だ」と心の中で呟き、胸がぎゅっと締め付けられる思いでした。
いろんなことがあったけど、デビューした時からずっと私はHey!Say!JUMPを一番に応援してきたのです。
そんな激重状態でいたので、一緒にいた友達からしたら、私が隣にいることは鬱陶しかっただろうし、正直あの日の私はどうかしてたな、と思います。
コンサートが終わってからもしばらく放心状態で、面倒だったと思います。
実際、コンサートが終わった後、友達とほとんど話した記憶がありません。
今思うと、非常に申し訳ないし、情けない。
心から反省しております。

そんなに苦しいなら担降りなんかしなければいいのに、と自分でも思いました。
だけど、もう立ち止まることはできず、私は半ば強引に担降り宣言をしました。
「もう私は伊野尾担ではないのだ」と思うと、胸が苦しいのと同時に、解放感がありました。
この感覚を言葉で説明するのは難しいけれど、ずっと大切に抱えてきた伊野尾さんへの「好き」という気持ちの重たさが、少しだけ緩和された気分になりました。
もっと楽な気持ちで「伊野尾さんのことが好き」だと言えるようになりました。
今までは伊野尾担であるが故に、好きな気持ちを表現することさえ、重く深く考え込んでいたのだと思います。
その重たさからやっと解放されたのだと思っていました。

Hey!Say!JUMPが好きだという気持ちに変化はなかったので、彼らのことを中心に呟くTwitterアカウントもそのまま残り、しかしそこでは特に担降りをしたということは言わず、それまでと同じように、だけど少しだけ軽い気持ちで伊野尾さんのことを中心に呟き続けています。
優先順位を低く設定したとはいえ、やっぱり彼らが私の特別であることは変わりなく、だから専用のアカウントもそのまま使い続けることにしたのです。
そうなのです、やっぱり私ははっきりと担降り宣言したにも関わらず、伊野尾担ではなくなりました、という宣言はできなかったのです。
そうしてズルズルと心の片隅で『伊野尾担の私』を飼い続けてしまっていたのです。
その『伊野尾担の私』が、じっと息を潜めていた私が、とうとう暴れ出してしまったのが、冒頭のDVDの話になるのです。

実を言えば、これまでにも何度か『伊野尾担の私』が暴れることはありました。
それは『ウィークエンダー/明日へのYELL』が発売された時のことです。
私はこのCDの発売が決定した時はまだしっかりと伊野尾担だったので、このシングルは全種予約し、降りた後ではあったけれどフラゲもしました。
正直、初めて『ウィークエンダー』を聴いた時、「これは売れる曲だ!」とすぐに思いました。
時代が違えばミリオンヒットも狙えたと真面目に思っていたし、売れて当然だと思っていました。
しかし、初動売上枚数は前作の『AinoArika/愛すればもっとハッピーライフ』よりも明らかに少ない枚数でした。
私は『AinoArika』という楽曲が大好きだし、Hey!Say!JUMPの代表曲でありテーマ曲である、とまで思っていますが、「売れる」と思ったのは、間違いなく『ウィークエンダー』だったのです。
コンサートで感じた『リピーターが多すぎる疑惑』とも重なり、2013年の終わりからHey!Say!JUMPの勢いが出始めたように見えていたのは勘違いだったのか、とひどくショックを受けました。
自分も逃げたのに、そんなことは棚に上げてしまうほどで、「このままじゃHey!Say!JUMPはいつまで経っても売れないじゃないか」「こんなにも力が入っていると分かる曲が売れないならもう明るい未来を見ることができないんじゃないか」と本当に落ち込んだ出来事でありました。

私は面識のある人にも、よほどのことがない限り「伊野尾担を降りました」という報告をしていません。
それは、必要のないことだと思っていたからです。
私が今誰を一番に応援しているかなんて、私自身が分かっていればそれで十分だと思うんです。
伊野尾さんを好きな気持ちは変わっていないのですから、周りの人がどう思っていようと、伊野尾さんのことを話したかったら話すし、好きであり続けるし、コンサートでは団扇を持ちます。
だけど、だんだん周りに、そして自分に嘘をついているような気持ちになってしまうのも事実でした。

そして、私が担降りをした直後から、「最近伊野尾くんへの注目度が異常」だと度々言われるようになりました。
それは主にTwitter上でのことで、かなり偏った見方ではありますが、確かに以前に比べて伊野尾さんに対する言及が増えたような実感が私にもありました。
しかも、どちらかと言えばプラスのイメージで語られることが多く、そのような呟きや文章を見るたびに「伊野尾さんがこんなにたくさんの人に愛されるようになって嬉しい」と心から思いました。
私は昔から伊野尾さんはもっと世の中から愛されるべき存在だと思っていましたが、デビューして数年の間は、厳しい言葉を浴びせられることの方が多かったように感じます。
今でもたまに「それは褒めてないよね?」と思うことを言われることもありますが、数年前に比べると随分とマシになったような気がします。
インターネットの中でも特に狭い世界の中で生きてきたので、私が見てきたものは全てではないし、他の人とは感じ方が違うところもあるかもしれませんが、少なくとも私の見えているジャニヲタの世界の中で、伊野尾さんは徐々に認められつつあるように感じています。

そうした中で、少しずつ伊野尾さんのお仕事も増えていっているのも事実でした。
今までには考えられなかったドラマ、バラエティー、雑誌、舞台…次々と新しい情報が舞い込んできます。
伊野尾さんだけでなく、Hey!Say!JUMP全体が盛り上がってきているように感じるようになりました。
もちろん、世の中から見れば、まだまだです。
Hey!Say!JUMP自体がまだまだなのですから、その中でもここ最近急に仕事が増えた伊野尾さんはもっとまだまだです。
それでも、確実に爪跡を残し始めているのです。
そんなHey!Say!JUMPや伊野尾さんのことを見ていることが、本当に楽しく感じるようになりました。
今までHey!Say!JUMPや伊野尾さんを応援していく中で、楽しいことはたくさんあったけれど、つらいこともたくさんありました。
新曲が出ない、コンサートは全国を回らない、テレビに出ない。
そんな時期もありました。
それを乗り越えてきたからこそ、楽しいことばかりの今が最高に幸せなのです。

楽しい日々が続く中で、少しずつTwitterもHey!Say!JUMPのことを呟くためのアカウントを中心に使うようになっていることに気が付きました。
もちろん呟きの数が全てではないと思います。
言葉にできない「好き」の形もあると思います。
それでも、間違いなくHey!Say!JUMPに対する比重が大きくなっていました。

伊野尾担を降りてからというもの、「もう私は伊野尾担じゃないから」と、いくつか購入を断念したものがありました。
主に雑誌ですが、本当にお金がなくて、本当に切羽詰まっていたので、買わなかったのです。
仮にお金に余裕があったとしても、「もう伊野尾担じゃないから」と言って買わなかったものもあるかもしれませんが、どれも伊野尾担だった頃の私だったら買っていたものなのではないかと思います。
その中のひとつに、先日発売された2015年度のカレンダーがありました。
Hey!Say!JUMPのカレンダーは、デビューしてから今まで毎年買い続けていましたが、今年はそれをあきらめました。
やっぱりどう考えてもお金がなかったからです。
そして、「私は伊野尾担じゃないから」と言って買わなかったのです。
心底後悔しました。
カレンダーを買ったところで大切に箱にしまい込むだけなので、全く実用的ではありません。
欲しいと思うのは、今まで全部買っていたからなのです。
持っているだけで安心するのです。
それは分かっているのに、それでも後悔したのです。
結局、smartのDVDの初回盤を欲しがったのも、やっぱり今までのDVDは全て初回盤を買っていたからに過ぎないのです。
それでも、手元に届いた時は嬉しくてたまらなかったし、結果的に何度も繰り返し見ているので、買ったことは無駄にはなりません。
だけど、見ているのはDISC1ばかりで、それは通常盤を買っても一緒のことだったと思うのです。
それでも、私は今まで初回を買ってきたのだから、初回盤が欲しいと思ってしまったのです。

そんなくだらない理由でカレンダーを買わなかったことを後悔している訳ですが、だからこそ今の自分の中途半端さが気になって仕方ないのです。
あまりにも都合が良過ぎると思うのです。
自分から逃げたのに、あれもこれも欲しいだなんて絶対に許されないことだと思うのです。

それでも、私は不意に思ってしまいました。
「もう一度伊野尾担を名乗りたい」と。

いっそのこと担当制度を撤廃してしまいたいくらいです。
『伊野尾担の私』と『神山担の私』がそれぞれ存在しているんだと思います。
場面によって自分なりのルールで住み分けていきたいと思うのです。
今、ジャニーズWESTを中心にしているアカウントとHey!Say!JUMPを中心にしているアカウント、どちらも私ではあるけれど、「この呟きはこっちでしよう」と自分の中で線引きしながら呟いています。
それをこそこそとしている自分が許せないのです。
万人に理解してもらおうとか、そんなことは絶対に無理だと思います。
だけど、もっと堂々としていたいと思うようになりました。

結局私はHey!Say!JUMPから逃げることなんかできなかったのです。
やっぱり彼らが私には必要なのです。
やっぱり私は担降りできてなかったのです。
だから、これからは『神山担の私』と『伊野尾担の私』、どちらも認めてしまいたいと思います。
場面によっては「伊野尾担です」と名乗ったり、「神山担です」と名乗ったりがあると思いますが、それは私が私なりに考えて、区別していこうかな、と思います。
こんなに長々とした文章を書いて宣言することでもないかもしれませんが、どうしてもけじめがつけたかったので書きました。
どちらの方の比重が大きいかなんて、その時次第なのです。
結局私はミーハーで、みんなが大好きで、その時々のマイブームがあって、だけど、帰るべき場所があるから、存分にたくさんの人やものを愛していきたいって思えるんです。
ホームがふたつあっても構わないのではないかな、と私は結論付けました。
Hey!Say!JUMPもジャニーズWESTも、どちらも私の大切なホームです。

今日から私は神山智洋担であって、伊野尾慧担です。